趣味愉楽 詩酒音楽          《まことに人生、一瞬の夢、 ゴム風船の、美しさかな。》

 
 
 
 

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 
 
 
 

『詩作の本性』より第2、第3、第4のテーゼ

 ハイデガーは詩人の詩人であるヘルダーリンの言葉を次のように解釈する。

2 「そのために、財貨のなかでもっとも危険なものである言語が
   人間に与えられたので、……それによって、
   自分が何であるかということを、人間は証するのだ……」

 言語は、人間が他のもろもろのものとともに所有している1つの道具である、というだけでなく、それだけではなくて、言語が、初めて一般的に、有るものが開かれた状態のなかにいる可能性を与える。言語があるところにのみ、世界があり、(…)


3 「人間は多くのことを経験した。
   私たちが1つの対話であって、
   互いに聴くことができるようになってから
   天のものたちの多くが名づけられた」

 (…)神々の現前と世界が現象することとは、言語の生成の結果ではまったく無くて、それらは言語と同時的なのである。しかも、まったくのところ、神々の名前を呼んでいるところと世界が言葉に-なる(Wort-Werden)ところに、まさに私たち自身である本来的対話が存立しているのである。


4 「留まるものを創設するのは、しかし詩人たちなのだ」

 詩人は神々に名前をつけ、すべての事物を、それらが何であるのか、ということに応じて名前をつける。この命名は、前もってすでに知られているものが単に名前を賦与される、ということで成り立つのではなく、詩人が本性的な言葉を語りながら、その名を挙げることを通して、有るものは初めて、それであるところのものへと命名されるのである。そのようにしてそれは有るものとして知られる。詩作は言葉としての有の創設である。



 この『ヘルダーリンと詩作の本性』の7年後の発表された『帰郷/つながりのある人たちに宛てて』では、命名される神々の名は、しかし、「不在」であると述べられる。1943年のことである。
 詩人は神々[不在]を探しまわり、神々[不在]を必死で名づけようとするが、行き着く先は不在というわけである。
 だからといって神々が忘れ去られたことになるだろうか。
 
 
 
 
Comment






(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
 
 
 
 
Trackback
http://bachundbruckner.blog.fc2.com/tb.php/32-9ec7dbdf
 
 
 
 
プロフィール

めが

Author:めが
大阪在住、岡山出身。

岡山朝日高校(管弦楽部)、大阪大学(法学部)から会社員(教育系)へ。

【興味関心】
詩(ヘッセと中原中也)
音楽(とくにバッハとブルックナー)
モータースポーツ(とくに1984年~1993年のF1)
グランツーリスモ、スポーツカート
ブルックナー研究

 
 
 
 
 
 
最新コメント
 
 
 
 
最新トラックバック
 
 
 
 
 
 
 
 
検索フォーム
 
 
 
 
 
 
 
 
ブロとも申請フォーム
 
 
 
 
QRコード
QR
 
 
Pagetop
 
 
 
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。