趣味愉楽 詩酒音楽          《まことに人生、一瞬の夢、 ゴム風船の、美しさかな。》

 
 
 
 

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困難な時期にある友だちたちに

 現に痛みを感じているさなかに、聞こえてくる作品というのは、ほとんどない。
 ヘッセの詩は、渦中でも、聞こえてくる。

      困難な時期にある友だちたちに

この暗い時期にも、
いとしい友よ、私のことばを容れよ。
人生を明るいと思う時も、暗いと思う時も、
私は決して人生をののしるまい。

日の輝きと暴風雨とは
同じ空の違った表情に過ぎない。
運命は、甘いものにせよ、にがいものにせよ、
好ましい糧として役立てよう。

魂は、曲りくねった小道を行く。
魂のことばを読むことを学びたまえ!
今日、魂にとって苦悩であったものを、
明日は、もう魂は恵みとしてたたえる。

未熟なものだけが死ぬ。
他のものには神性が教えようとする。
低いものからも、高いものからも、
魂のこもった心を養うために。

あの最後の段階に達して初めて
私たちは自己に安らいを与えることができる、
その境に至って、父に呼ばれつつ、
早くも天を見ることができる。


 1915年前後の作品。

ヘッセ詩集 (新潮文庫)ヘッセ詩集 (新潮文庫)
(1950/12/07)
ヘッセ

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東京モーターショー2013

 東京モーターショー、楽しそうである。公式HP ニュースサイトより
 HONDAの力の入れようが印象的。
 大阪でもモーターショーが予定されているから行ってみようかな。大阪モーターショー
 
 
 
 

まずは1990

 1990年のF1はバランスよく楽しめる。
 プロスト・フェラーリとセナ・マクラーレンというドライバー&コンストラクターの対決に加えて、ベネトンのピケやティレルのアレジもいる。ウィリアムズはブーツェンとともに堅実にまとめてくる。マンセルとベルガーというNo.2もバトルに絡んでくる。それにナカジマやアグリもいる。参考URL
 マシンもかっこいいし、ドライバーもみんな個性が強い。
 わかりやすいし、でも飽きない。そんなレースを毎戦楽しめる。1990年のF1世界選手権
 
 
 
 

この1台

 いま何が一番欲しいかと訊かれて、それは時間だと答える。
 物で、いま何が一番欲しいかと訊かれて、それは SUBARU BRZ だと答える。SUBARU HPより

 来年には買える。しかし買ったところで無一文である。乗る時間も維持する金もない。だから買わないつもりでいる。しかし、いま一番欲しいものである。
 グランツーリスモ5やSuperGTを通してこのクルマを知り、GT5のオンラインレースでは半年近くずっとBRZを使っている。WRCでのSUBARUの活躍もリアルタイムで見ていた世代でもあり(当時は高校生)、だから余計に気になるのである。
 初挑戦のタミヤのプラモ TAMIYA HPより もBRZである。趣味を広げるきっかけとなった、僕にとっては特に思い入れのあるクルマである。

 
 
 
 

ベッテルはプロストと肩を並べたか

 最強のF1マシンとは?
 ハイテク以前ということで言えば、マクラーレン・ホンダ MP4/4 は史上最強のGPマシンだろう。ホンダ・レーシング・ギャラリーより
 実物が目の前を走るのを見たことがあるが、身震いしたのをよく覚えている。

 当時、プロストはセナしか見ていなかったし、セナはもちろんプロストしか見ていなかった。1988年から1991年まで、ドライバーズ・タイトルは4年連続でプロストorセナ。でも飽きない。だって二人のライバルが、切れば血が噴き出るようなバトルを常に繰り広げていたから。参考

 ベッテルは4度のタイトルを獲得し、アラン・プロストに並んだ。プロストの4度目ははっきり言って(セナに対する意地としての)蛇足みたいなものだが、その他3つのタイトルはわりあいぎりぎりでの獲得である。1985年はアルボレートと、1986年はウィリアムズ・ホンダのマンセルやピケと、そして1989年はセナと、猛烈なバトルを繰り広げてのタイトル獲得である。だからこそ僕はものすごく惹かれる。だからこそベッテルにはあまり魅力を感じない、というか今のF1にそこまで情熱がない(マシンの見た目もかなり影響しているけれども)。
 とはいえ来年度からの新レギュレーションに期待大。
 
 
 
 

逸脱と調和

 バッハは同時代人の中で、間違いなく、最も自由に音楽を表現した作曲家である。

J・S・バッハ:平均律クラヴィア曲集 第1巻 (2CD)J・S・バッハ:平均律クラヴィア曲集 第1巻 (2CD)
(1997/02/25)
鈴木雅明(チェンバロ)

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 前奏曲とフーガという伝統的な形式の中でこそ、彼は雄弁になる。伝統と規則の中で彼はますます自由奔放にふるまう。これがバッハの醍醐味である。これぞという神がかり的なインスピレーションをほとんどそのままの形で破綻なく表現するということは、至難の業である。しかし彼はいともたやすくそれをやってのける(ように見える)。
 24の調すべてを用いるということ以外でのこの曲集の技術的なコンセプトは(前奏曲に顕著だが)、アルペジオ。そして内容的なコンセプトは(フーガに顕著だが)、キリスト教的な世界観。根っこは教会音楽家であるからか、バッハの音楽はたとえ世俗ジャンルであっても神の痕跡が(特定の音型として)随所に現れる。
 最後の24曲目のロ短調フーガから1曲目のハ長調前奏曲へ続けて聴いてみると、より楽しめる。
 
 
 
 

静かに語る

 バッハとブルックナーの音楽は、僕にとっての故郷である。帰ってくるべき場所である。
 ジミ・ヘンドリックスやローリング・ストーンズも聴くけれど、ユーミンも小田和正も聴くけれど、やっぱり帰ってくるべき場所である。
 とはいえ、異郷の地を旅するのもまた面白く、そこに通うこともなきにしもあらずや。

 バルトークの弦楽四重奏曲の第5番や『ミクロコスモス』、リゲティの『ルクスエテルナ』やピアノのための『ムジカ・リチェルカータ』『エチュード』など、傾向としては20世紀の音楽、それも寡黙ながら訴えかけずにはいられない音楽。
 音にまみれた現代の都市生活の中で、聴きたい音楽は、静かに語る音楽。

 バッハとブルックナーに共通するのは、彼らは本当のところで、静かに語る人なのだということ。
 
 
 
 

僕は僕が輝けるように生きてゐた。

 仕事にかまけて、なかなか音楽を集中して聴けないし、本も読めていない。通勤電車で詩を読むのがやっと。中原中也の『在りし日の歌』が、すごく沁みる。未発表の晩年の作品も含めて、晩年の中也の詩にとても心惹かれる。

      酒場にて

今晩あゝして元気に語り合つてゐる人々も、
実は、元気ではないのです。

近代(いま)といふ今はすくなくも、
あんな具合な元気さで
ゐられる時代(とき)ではないのです。

諸君は僕を、「ほがらか」でないといふ。
しかし、そんな定規みたいな「ほがらか」なんぞはおやめなさい。

ほがらかとは、恐らくは、
悲しい時には悲しいだけ
悲しんでられることでせう?

されば今晩かなしげに、かうして沈んでゐる僕が、
輝き出でる時もある。

さて、輝き出でるや、諸君は云ひます、
「あれでああなのかねえ、
不思議みたいなもんだねえ」。

が、冗談ぢやない、
僕は僕が輝けるように生きてゐた。

(未発表詩篇 1936.10.1)

(中原中也『在りし日の歌』角川文庫より、一部表記改変)


ここ2週間くらい風邪を患っていて、また秋冬独特の物憂さもあり、余計に沁みた。
 
 
 
 

とりあえず

 気ままに好きなことを書いていきたいと思って。
 
 いま気になっているのはホンダの新型フィット。ホンダHPより
 昼飯を買いにセブンへ行ったら黒のフィットが止めてあって、眺めてみるとHPで見るよりもスリムに見えた。父親がそろそろクルマを買い替えようと言っていたのですすめたい。燃費はいいしそこまで高くもない。乗りやすさ使いやすさも申し分ないだろう。
 
 
 
 
プロフィール

めが

Author:めが
大阪在住、岡山出身。

岡山朝日高校(管弦楽部)、大阪大学(法学部)から会社員(教育系)へ。

【興味関心】
詩(ヘッセと中原中也)
音楽(とくにバッハとブルックナー)
モータースポーツ(とくに1984年~1993年のF1)
グランツーリスモ、スポーツカート
ブルックナー研究

 
 
 
 
 
 
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